【泰山鴻毛(たいざんこうもう)】の意味を例文や会話、由来・出典まで解説!

泰山鴻毛(たいざんこうもう)

「泰山鴻毛」とは「命や死や価値などの重さの差が激しい喩え」です。権力者や重要な人物の命を大事に扱い、貧しい者や仕える者の命は軽いので雑に扱う。残念ながら昔も今もこんな非常識がまかり通っているのは事実です。そんな不公平な社会に一石を投じる言葉「泰山鴻毛」の解説となります。

泰山鴻毛の意味

「泰山鴻毛」の意味は以下の通りです。
・重さの差が激しい喩え。
・非常に重いものと非常に軽いものから、転じて、隔たりや違いがあまりにも大きい喩え。
・人の命にはみだりに捨ててならない時と、進んで捨てなければならない時がある事。
・諺「死は或は泰山より重く、或は鴻毛より軽し」(しはあるいはたいざんよりおもく、あるいはこうもうよりかろし)も同義。
・「太山鴻毛」とも書く。
”泰山”は「中国山東省の名山で重い喩え」、”鴻毛”は「オオハクチョウの羽毛から軽い喩え」で、元々は中国前漢時代の歴史家・司馬遷が死刑宣告された友人に送った手紙の一部「死は或は泰山より重く、或は鴻毛より軽し」から取られたものです。主な意味は上記の通りですが、一般的には死や命の重さの違いについて使われます。例えば、裕福な人は高度な医療が受けられ貧しい人はまともな医療を受けられない時に、「人の命は貧富の差で泰山鴻毛が平然とまかり通る」といった風になります。また、命や死以外でも物事の価値としての軽重で使われます。よって、日常的にはあまり使われず限定されますが、世の中の不平等などを訴える際に用いられたりします。

泰山鴻毛の由来・出典

「泰山鴻毛」の由来は中国南北朝時代の詩文集「文選」の司馬遷「任少卿に報ずるの書」、又は後漢時代の歴史書「漢書」の司馬遷「報任少卿書」となります。

泰山鴻毛の類義語・同義語

「泰山鴻毛」の類義語には、「鴻毛山岳」などが挙げられます。

泰山鴻毛の使い方・例文

例文1.コロナ禍でも議員や芸能人が高級店で飲食できるのは、彼らは感染しても大病院に入院して治療が確実に受けられるからで、一般人との如実な違いを泰山鴻毛と言わずに何と言うのか。
例文2.かつて、口だけ達者な総理大臣が誕生してから日本は派遣社員が急増し、給料から待遇など全てで泰山鴻毛となる差別が横行したが、それが問題なしでまかり通ったのだから酷いものだ。
例文3.コロナでも東京五輪は観客を入れるという案があるが、若者世代は大半でワクチン接種が間に合わないので、観たい人でも入場できない泰山鴻毛な事態になりそうだ。
例文4.泰山鴻毛、内閣や政府を庇う為に血眼になって働く官僚一人は出世の特典があるにしても、不名誉を受け取るツケとしてはとても軽い扱いだ。
例文5.資本主義は金を奪い合うゲームで、頂点に君臨する億万長者とそれ以外の99%は泰山鴻毛でしかなく、実にばかげた歪な社会だ。
命の軽重や貧富の差で「泰山鴻毛」を使った例文です。

泰山鴻毛の会話例

男性
子供の進学どうする? 私立に通わせるか?
女性
うーん。私は最初は無理してでも私立だと思っていたんだけど…。
男性
どうしたの?
女性
それがうちみたいに家計が苦しくて、ギリギリ行かせるところは泰山鴻毛な扱いを受けるんじゃないと思って。だって友人達が裕福な家庭だったら、どうしても比較するでしょう。だから、公立がいいんじゃないの。

子供の進学について、公立と私立のどちらにするか夫婦が話し合っています。

泰山鴻毛の豆知識

「泰山鴻毛」の元である言葉「死は或は泰山より重く、或は鴻毛より軽し」からは、他にもいくつかの諺が誕生しています。代表となるのは、大切な者の為なら命を捨てても惜しくない「命を鴻毛の軽きに比す」、取るに足りない喩え「九牛の一毛」、人間は感情を持つか弱い存在の「木石に非ず」といったものがあります。

泰山鴻毛の難易度

「泰山鴻毛」は漢字検定準1級から10級相当の文字組み合わせで、”鴻”は準1級で大学一般レベル、”泰”は準2級で高校レベル、”毛”は9級、”山”は10級でそれぞれ小学校低学年レベルの四字熟語となります。

泰山鴻毛のまとめ

「泰山鴻毛」は裕福な人や権力者の命は大事にして貧しい人や庶民の命は蔑ろにするなど、人の命の軽重を比較する言葉です。命や死以外でも価値などで重いものと軽いものの差が激しい際の喩えともなります。大事なものは重く、そして大事でないものは軽いとして、世の中の不平等を訴える際などに使われる傾向があります。

重さが激しく泰山鴻毛な様子
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